経営課題への解決の糸口が、ここにある!
同友会の学びと実践で地域を元気に!
(有)村田電設 代表取締役
村田 一信 (2013年度 経営労働委員長)(左)
(インタビュアー)(株)ゆうプランニング 代表取締役
木村 正夫(熊本同友会広報委員長)(右)
2010年度~ 2012年度宇城支部長、また今年度経営労働委員長に就任した村田社長に経営指針を自社にどう生かされているかについて取材した。
-会社創立
1987年、30歳の頃に大企業を辞めて独立の準備をはじめ、“皆で楽しく仕事ができる会社をめざす”を合言葉に1991年5月、会社を立ち上げました。当初社員は5名ほどでしたが、皆で稼いだものは、すべて皆で分けるべきと考えていたので、道具を買うお金以外は皆で分け、創業からの5年間、トントンの決算で会社にお金を残しませんでした。今はそれを反省しています。
-採用について
当時の社員たちと50歳を過ぎて電柱に登るのは大変だろうし、おかしいだろうということになり、採用を考えはじめました。私は中学を卒業し、職業訓練を1年受けて、今の自分があります。誰でも自分のようになれるはずだと思っていたので、中途採用者で求人して、社会に役立つ一人前の電工マンにしたいと若者の採用を始めました。若者を雇用するようになって、経営の維持を考え始めました。
-経営指針を創る会へ参加した動機
2005年に同友会へは入会したものの、魅力を感じずすぐに退会しようとしましたが、経営指針の勉強会と出合ったおかげで踏みとどまりました。同友会に経営指針を創る勉強会があると聞き、素直に受けたいと思いました。自分が経営者として10年後か15年後に退職すると考えた時、自分の思いをきちっと継承して欲しい、村田電設の根本は守り続けて欲しいと思いました。そのためには、成文化する方法が一番だと考えました。
-学び出したら、理念がない事に気づかされた。
もともと自社に経営指針はなく、学んでいく中で、受け継いで欲しい理念も、明確な想いもないことに気づきました。それで初年度(2007年度)は無理やり創りました。翌年3月まで掛かってやっと出来あがり、これで終わったと喜びもつかの間、勉強会の最後の懇親会で、故米村浩幸元代表理事から「創っただけではムリだよ、10年は続けていかないと会社は良くならない」と言われたのです。その場で10年間続けると米村さんと約束をしてしまいました。
-宇城支部で経営指針の委員長に
経営指針づくりに取り組み、委員会には参加していましたが、支部活動には参加していませんでした。3年目に上田裕子経営指針委員長(当時)から「宇城支部から参加者を募ってください」と言われて、支部活動に参加し始めた次第です。その頃経営指針委員会の副幹事長になりました。宇城支部の(株)三優の田中優二社長に薦められて、支部内の経営指針委員長になりました。ところがその年の支部の忘年会で皆さんから「経営指針は要らない」と言われたのです。田中社長からも助言いただき、米村元代表理事を迎えて支部で経営指針を創る会入門セミナーを開催しました。この勉強会で宇城支部は同友会の深さを知り、その後の発展の基盤になったと思います。
-経営指針の勉強を6年続けた感想
経営の中では必ず理想と現実の違いが出てきます。いわゆるグレーゾーンですね。そこを「理念、理念」と四角四面に対処しようとすると、社内がぎくしゃくします。人として人情もありますし、余裕を作ってあげることも大切です。何もかもを厳密に対処せずに状況に応じて判断するよう心がけています。
-職人の流儀(先輩からの伝授法)からの変革
自社の仕事は危険な職業です。社員には先輩から教わった方法でそのまま教えていました。厳しく、安全教育からたたきこみます。会議なども私から一方的に指示を出す形で進めていました。失敗(事故)しないようにするためです。私の経験を語って指示する私中心の経営、自分の力で社員を支えていました。はじめての『第11期経営指針確立を目指す会』の討論の中で、米村謙一経営指針副委員長(当時)に社員の自主性を育てるためには、手(指示・命令)を出さないこと、社員をたたくなという意味で手を出すなと強く指摘されました。今では、感謝しています。
-経営指針で社員が変わった
職人流の経営では、会社が発展しないと感じるようになりました。確かに技術の覚えは早いし、的確に指示するため失敗も少ないのですが、それは社員独自の力ではありません。現場では「心・技・体」が必要。まず身体、現場は力仕事が中心で、その中では技術も必要になります。しかし一番必要なのは「心」です。技術職はゴルフや野球と同じで、自分で工夫する力、コミュニケーション力などが求められます。例えば大きな現場などでは、きちっと自己主張できる力がないと他人に支配されます。全体の流れを見渡して、自分の出番だと見たら他人を押し退けてでも前に出ないといけない時があります。つまり自主性が問われるのです。経営指針の勉強で、ココの部分は強くなりました。
-2年前に一大決心
2年前、収益が少なくて、厳しい要求のある大手の下請けをひかえる事にしました。大切なお客様のための仕事に専念させよう、喜び喜ばれる関係を築こうと考えたのです。すると社員がお客様に色々提案をするように変わりました。お客様からも評価され、良い関係ができるように変わりました。ただし売上が劇的に下がり、背筋がぞっとしました。でも社員の努力の結果、現在では大きな仕事を下請けしなくても成り立つようになりました。
-24時間営業体制と仕事の差別化で強みに特化
電気系統など色んな故障などの受付は、正月だろうが夜中だろうが24時間受け付ける体制を作りました。お陰で修理がきっかけで仕事につながっています。また私が開拓した仕事も、役所の仕事も社員に任せるようになりました。若い人たちに渡して段々私の仕事はなくなっています。また、大きな仕事は大企業が、小さな仕事は私たちがといった具合に住み分けるようにして、自分たちの身の丈に合った仕事をしようと考えています。同友会で学んできたお陰でそう考えられるようになりました。またそれは社員の考え方でもあります。同友会での学びは、経営指針の勉強が支部でも役立ち、支部づくりでの学びは自社での実践に役立っていると感じています。会社も同友会も自分だけの力ではどうにもならないと実感しました。今は、周辺の地域の仕事などが私の仕事になっています。
-地域を元気に
同友会では、“国民や地域と共に歩む中小企業”をめざしていますが、地域と中小企業の発展は不離一体だと思います。地域を良くしたい、地元の宇土市走潟を笑顔が溢れる元気な町にしたい、そうなれば人が集まって来ると思い、3年前くらいから地域の会長に「祭り」をやりましょうと提案していて、ようやく今年実現しました。8月の盆に開催すれば、各地から帰って来た人が参加すると思い計画しましたが、なんと市長をはじめ950名ほどが参加いただきました。走潟は8地区あるので、各地区の持ち回りで100年続く祭りに発展して、将来は宇土の本祭りの総踊りにも走潟地区として参加ができればと思っています。宇土全体で活性化したい。祭りを通して、宇土市や走潟地区の歴史を学ぶきっかけにもしたいし、子どもたちに故郷に夢や誇りを持って欲しいのです。これからは地域を元気にする活動にも積極的に貢献致します。
2013年10月号掲載
【インタビュー】
(株)ゆうプランニング 代表取締役 木村 正夫
(熊本同友会広報委員長)
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