各界から熊本同友会会員へ向けた熱きメッセージ
運気が上がる縁の地
昨年6月に九州財務局長に就任した。実は、熊本は私にとって運気が上がる縁の地である。私の曽祖父の山田準(済斎)(祖父が野島家に養子に入ったため現在は野島姓)は、明治32年から3年間、旧制第五高等学校の主任教授(漢文)を務めていた。当時、英語の主任教授の夏目漱石と一緒に教鞭をとっていた。教え子には2001年ノーベル化学賞を受賞した野依良治博士の祖父で、三井生命保険初代会長の野依辰治氏がいる。明治34年には政府に請われ、鹿児島の旧制第七高等学校造士館の創設に関わり、教授を務めた後、二松学舎(東京都千代田区)の初代校長となった。
山田準の祖父(私から見ると6代前)に当たる山田方谷は、幕末期の陽明学者で備中松山藩(岡山県)の藩政改革を行い、江戸幕府の政治顧問を務めた。また、閑谷学校(国宝、岡山県)を再興するなど、約1千名の弟子を育てた教育者でもある。
藩の借金10万両(約600億円)をわずか7年で返済し、その上10万両の蓄えを作った方谷の改革は、会社の再建や拡大に参考にされており、少し紹介させていただく。
まず、方谷の改革が成功した背景には、「領民(国民)を富ませることが国を富ませ、活力を生む」という壮大な哲学があった。また、改革実現のため「至誠惻怛(しせいそくだつ)」(真心と痛み悲しむ心)という精神で行った。その哲学・精神を支える理念として、「事の外に立ちて事の内に屈せず」と「義を明らかにして利を計らず」がある。前者は大局的な立場に立ち視野が狭くならないようにということであり、後者はあるべき正しい道(義)を追求すると利益は自然とついてくるという意味で、この思想は方谷の弟子の三島中洲(大正天皇の教育長)を通じて、渋沢栄一の「論語(義)と算盤(利)」の思想に通じている。この哲学・理念をもとに改革を成功に導いた。
方谷の行った改革の1つ目として、藩の財政の的確な把握と借主(大阪商人)への徹底した情報公開が挙げられる。自ら調べ分析し、大阪商人に包み隠さず開示した。情報公開により一時的にはダメージを被るが、このことが財政再建を成功させた原点と言える。
2つ目は、領民に改革の利益の還元をしたことである。備蓄米によって生活を安定させた上で、米だけでなくタバコ栽培を奨励し、江戸、大坂に直接輸送して現金収入を得て領民に還元した。
3つ目は、地元の特産を使った付加価値を付けた産物の開発。備中松山では砂鉄がとれた。方谷はこの砂鉄からたたら製鉄で3本歯の備中鍬を作って売った。地元の特産をもとに金属産業を興したのである。
4つ目は、情報収集による的確な需要の把握である。江戸は大火が多いので釘の需要があると予想。たたら製鉄で釘を量産し、江戸へ運んだ。この際には、中間の商人を通すことなく、自藩で所有する船で直接江戸へ運び、中間搾取を防ぎ、利益を藩に導いている。2つ目の話につながるが、この利益を生産者(領民)に還元した。
5つ目は、広報をうまく利用したことである。財政悪化で信用を失った藩札の信用を回復するため、買い取った藩札を河原で山積みにし、衆目の中で焼却した。これは領内のみならず他藩への宣伝効果としても役立った。
方谷は紹介した以外にも、教育改革などもしている。方谷の藩政改革の理念・手法を使って会社を大きくしたり、再建した経営者も多い。皆さんの会社経営に少しでもお役にたてれば幸いである。
2014年2月号掲載
財務省 九州財務局 局長
野島 透
昭和36年(1961年)生まれ。
東大卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。大阪国税局査察部長・課税第一部長、横浜税関総務部長、関東財務局総務部長、内閣府参事官、財務省大臣官房文書課室長、財務省大臣官房会計課長等を歴任。現在は、財務省九州財務局長
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