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「武王の門」に描かれた菊池一族を訪ねて

「武王の門」

ハードボイルド作家北方謙三氏が初の歴史小説として臨んだこの作品は、後醍醐天皇(南朝)と足利尊氏(北朝)が争った南北朝時代の物語です。後醍醐天皇の皇子、懐良親王(かねながしんのう)とともに、九州を平定した菊池氏第15代当主武光公の活躍を中心に、激動と争乱の時代を駆け抜けた菊池一族の勇姿が鮮やかに描き出されています。


菊池一族は、中世平安時代から室町時代の後半まで約450年に亘って活躍した九州きっての強豪武士団です。源平合戦や元寇など日本史上に残る戦いにも参加し、元寇では蒙古襲来絵詞にその勇姿が描かれていますが、中でもこの一族が隆盛を誇ったのは南北朝時代です。


中央の分裂は九州にも及び、第15代武光は懐良親王を征西将軍に戴き南朝方として北朝方と戦いました。日本三大合戦の一つである筑後川の戦い(1359年)の後、大宰府を完全に占領、その後12年間に亘って九州を統治しました。肥後の武士が九州を平定したのです。当時の菊池一族の活躍は、武光が血刀を川で洗ったという故事に由来する福岡県大刀洗町、第12代武時を祀る福岡市の菊池神社など、九州各地に今なお存する地名・旧跡からも窺い知ることが出来ます。


全般的に劣勢であった南朝方の中で優勢を誇ったのは九州だけであり、また、武光ほどの戦果をあげた武将は他には無く、歴史上の人物としては一級の人であったと言っても過言ではありません。


戦に敗れ、菊池に戻った後は、第21代重朝の時代に貿易や文教の面に力を傾け、当時の文化の一大中心となった時期もありましたが、戦国・下克上の時代へと向かう中で、菊池氏は守護職を失い、繁栄の歴史は第24代武包で幕を閉じることとなります。


しかし当地域には、菊池一族の活躍を偲ばせる史跡が数多く残されています。そのうちの2つをご紹介します。


菊池武光公騎馬像(中村晋也作)菊池市民広場にて

菊池武光公騎馬像(中村晋也作)菊池市民広場にて


1 菊池武光公騎馬像

第15代武光の騎馬像。菊池氏の本拠地である菊池市隈府にある市民広場で、菊池一族の全盛期に活躍した希代の武将が大宰府を見据えながら颯爽と馬に跨る姿は、菊池市のシンボルとなっています。


2 聖護寺(しょうごじ)

第13代武重の時代、深山で仏教の修行をしたいという大智禅師の希望により菊池市北部の山中に創建。この大智禅師の教えに菊池の精神文化は大きな影響を受けています。昭和17年に再興し、現在でも僧侶の修行の場となっています。


また、あの西郷隆盛は、一族の子孫で、奄美大島に流された際には「菊池源吾」と称しました。初代則隆の長男が西郷氏の祖となり住んだという菊池市七城町には「西郷南洲祖先発祥の地」という碑が残っています。三度の菊池での勤務を通じて、菊池一族について知れば知るほど、肥後から九州全土へと駆け巡っていったその凄まじいほどの勢いを改めて感じずにはいられません。


県では、知事の提唱する4 ヵ年戦略の一つとして「くまもとの歴史・文化の磨き上げ」を掲げています。当振興局としては、歴史浪漫溢れる菊池一族の魅力について皆さんに情報発信することに努め、観光とも結びつけて地域の活性化につなげていきたいと考えています。


菊池武光公に扮する(菊池神社秋の大祭にて)

菊池武光公に扮する(菊池神社秋の大祭にて)


2012年11月号掲載

熊本県菊池地域振興局 局長 富田 健治

熊本県菊池地域振興局 局長
富田 健治

昭和27年鹿本郡鹿央町(現山鹿市)生まれ。
昭和52年熊本大学法文学部卒業後県庁入庁。
道路総務、情報管理、税務、危機管理監を経て、現職。趣味はゴルフ、温泉めぐりなど

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