熊本県中小企業家同友会

特集

核心

経営課題への解決の糸口が、ここにある!

息子と二人三脚で。~波乱に満ちた人生を明るく、楽しく、前向きに~

(有)クレッシェンド 代表取締役 木下 智夫

(有)クレッシェンド 代表取締役
木下 智夫 (熊本同友会副代表理事)


-入会のきっかけ

TKUi&n(現TKUヒューマン)時代に経営幹部が会員で、会員企業の社長として何度かゲストで参加しました。1998年頃だったと思います。同友会の良さを感じ、その後、2004年に会員交代で私が会員となりました。色んな異業種交流のお誘いの中、同友会を選んだのは、グループ討論などで真剣に議論をする会だったからです。経営研究集会などのグループ討論に参加し「この会はスゴイ」と驚きました。
2005年末に、T K U を退職し、年明けに(有)クレッシェンドを起業しましたので、後任の社長と会員交代を行い、自分自身は2月にあらためて入会しました。


-雇われ社長時代の意識

グループ討論では、今聞いたばかりの報告者の話をどう思うのか、皆で意見を出し合い、意見をまとめて報告者に戻し、打ち返しを貰う。さらに懇親会で深める。他の団体にはない新鮮さがありました。
 でも、雇われ社長時代は「経営理念」とか「経営指針書を創る」ことはあまり考えていませんでした。業績を上げて、本社に歓迎されればいい位の意識しかありませんでした。社員に対しても「給料分位は働け」程度でした。
当時わたしは、別の子会社に転出する予定でしたが、i&nの業績が思わしくなく急きょ i&nの代表になりました。そこで業態を変えて良ければと約束を取り付けたので、代表取締役を引き受けました。当時売上の主流だったREAD(求人情報誌)に広告代理店としての仕事を加えました。各放送局を回って代理店になりました。そこで8年間代表取締役を務めました。


-息子とふたりで

全く予想外でしたが、息子と一緒に会社を興す羽目になりました。わたしは一人で代理店を経営しようと計画を練っていました。ところが、わたしが前職を辞める時に偶然にも息子も当時勤務していた会社(ハウスメーカー)を辞め、「わたしと一緒に仕事をしたい」と言い出したんです。全くその絵は描いてはいませんでしたので、戸惑いました。しかし息子が入ったことで「存続」とか「継承」とかを意識するようになりました。
困ったと思った反面、思わぬ喜びも生まれました。同友会が身近になりました。2006年(平成18年)の1月23日に「オフィス・クレッシェンド」が誕生しました。


-家族会社

妻に経理を任せて家族3人でスタートしました。ちゃんと入社式もしました。息子に「採用辞令」も出しました。今日から8期目に入ります(10月1日に取材)。
 TKUの社員だった頃は、永く住宅展示場担当を任されていましたので、土日も休みがなく、展示場を妻・息子と町中に出掛ける待ち合わせの場所にすることが多く、息子は、展示場で遊んでいました。わたしのことを「建築屋」さんと思っていたらしく、小学校の作文に「自分も建築士になりたい」と書いていました。 その息子が、同じ道を歩み始めたのです。


-慎太郎、同友会に入会

息子の慎太郎は、入社と同時に同友会の会員になりました。わたしが強制しました。自分が教え切れない分、同友会の皆さん方から教われよ、と言う訳です。ここも同友会の魅力のひとつです。最初は参加しようとしませんでした。意欲はあったと思いますが、グループ討論で自分の意見が言えないのが主な理由でした。
そこで2007年2月に沖縄で行われた「第37回中小企業問題全国研究集会(略称:全研)」に行かせました。「えらい所に行かせたね」と言って帰って来ました。翌年の仙台の「全研」にも行かせましたし、岩手や北海道で行われた中同協の「青年経営者全国交流会(略称:青全交)」にも行かせました。グループ討論の経験できちんと“自分の言葉”で自分の意見が言える様になったと思います。また、短い時間で自分の意見をまとめないといけないので、勉強になったと思います。


-息子に教えられ

同友会が良いからでしょうね。親子で入会される方も多数いらっしゃいます。親がやめて子どもが入る会員交代の場合もありますし、私たちのように親子で入会しているところも多いですね。共有する部分ができて、逆に教えられることもあります。理念に照らして「おかしい」とかの議論まではしませんが、説教されることもあります。


-同友会の良さを知って欲しい

2006年に現在の会社で入会してから、同友会内の役員を続けています。入会したもののグループ討論で自分の意見が言えなくて足が遠のく方々がおられますが、それをどうするかが課題です。既存会員が引っ張っていかないといけないと思い、電話やメールで声掛けを行ってきました。紹介者のフォローが大切です。「忙しい」は誰もが言う言葉です。参加して同友会の良さを知って欲しい。同友会は勉強する会です。


-副代表理事になって

2010年に副代表理事になり、今年で3年目です。その前3年間北支部の支部長を務め、その前は、仲間づくりの幹事長をしました。その頃は会員600名を目指していました。
 北支部長を務めた3年目からゆ〜ほく支部づくりに参加、会員を増やすには支部づくりが一番と考えました。副代表理事になる直前の2010年3月に設立総会を行いました。設立総会では、議長を務めました。
 「設立1年で会員数50名以上にするのはムリだろう」と代表理事に言われたのに発奮してゆ〜ほく支部の支部長の上田久男さんや幹事長の吉冨健一さん、幹事の皆さんと頑張りました。今は50名以上になっています。再来年の3月までに100名を目指しています。
 各県の同友会では、各県の中小企業の数の10%が会員企業となること(組織率10%)を目指しています。熊本は11位、まだ3.7%位で、まだまだです(10月1日現在)。香川県が一番で9%位です。念願の熊本会勢1,000名は目の前です。
 中同協の『中小企業家しんぶん』や熊本同友会の広報誌『熊本羅針』を会員増強に役立てたいと思います。行政にも影響力が出てきたのではないでしょうか。


2010年3月25日に行われたゆ~ほく支部の設立総会

2010年3月25日に行われたゆ~ほく支部の設立総会


-事業承継

70歳(後2年数ヵ月)になったら、事業を息子の慎太郎に承継する予定です。最近は、息子は息子で独自に仕事をしています。独立当初はすべてがわたしの売上でした。もちろん売上の目途があって独立した訳ですから、当たり前ですが、その後、売上が徐々に下がって行きました。大手の広告を扱っておりましたので、地元予算がカットされたり、なくなったりで一時はどうなることかと、心配しました。その中で息子が徐々に力を付けてくれて、自分のネットワークから仕事を生み出してくれるようになりました。同友会での学びやそこでできた人間関係が大いに役立っています。
 同志社大学のOB会の理事もしていて、月に1回京都まで出かけています。来年はNHKの大河ドラマ「八重の桜」があります。八重の夫は同志社を創設した新島襄です。来年は、仕事の大部分は息子に任せ、同友会とOB会の仕事(ボランティア?)で忙しくなりそうです。



2012年12月号掲載

【インタビュー】
(株)ゆうプランニング 代表取締役 木村 正夫
(熊本同友会広報委員長)

最新の特集記事

一般社団法人 熊本青年会議所 2024年度 第70代理事長 野島 雄大
各界からの提言
2024年4・5月号掲載

強い輪からなる組織が
明るい未来への架け橋となる

一般社団法人 熊本青年会議所 2024年度 第70代理事長 野島 雄大

熊本県中小企業家同友会会員の皆様におかれましては益々ご繁栄のこととお慶び申し上げます。また、企業の発展を通じて地域社会の...

株式会社熊本シティエフエム 代表取締役社長 田上聖子
各界からの提言
2024年4・5月号掲載

熊本の魅力を全国に発信!

株式会社熊本シティエフエム 代表取締役社長 田上 聖子

中小企業家同友会との出会い 自己紹介を兼ねて、私と熊本県中小企業家同友会との出会いを紹介させていただきます。私は熊本市役...

九州財務局 局長 河村 企彦
各界からの提言
2024年3月号掲載

地域経済の持続的成長の
鍵となるDXの推進

九州財務局 局長 河村 企彦

昨年7月の着任以降、DX(デジタルトランスフォーメーション)を積極的に推進されている自治体や企業の現場を訪問させていただ...