各界から熊本同友会会員へ向けた熱きメッセージ
古荘財閥とその後の熊本
かつて熊本に“古荘財閥”と呼ばれる企業集団があった。古荘家(総帥・古荘健次郎)が創設ないし、関係した企業はデパートやホテル、金融機関、生命保険会社、繊維会社、航空機製作会社など50社余りに及んだ。いまでも熊本経済界の“源流”になっている。戦後も“古荘財閥”の企業群がそのまま続いていたとしたら熊本市はいまごろ活気のある100万都市になっていたと思う。
古荘財閥の母体は熊本市古川町の繊維問屋・古荘商店(現古荘本店)である。大正末から昭和の初めにかけて繊維事業に成功し、その勢いで銀丁百貨店、肥後無尽(のち肥後相互銀行)、大阿蘇観光道会社、熊本国産自動車、比島金貨メリヤス(マニラ)などを設立した。また、東京では日清生命保険、大分ではトキハ、小倉では井筒屋百貨店などを次々に傘下に収め、経営した。
さらに戦時中は古荘航空工業、九州産業交通、フィリピンに東洋興業、中国・青島市に和順染織廠などを設立した。最盛期には従業員総数が1万人を超える規模になった。従業員数が1万人を超えた企業は熊本に古荘グループ以外にはない。
古荘健次郎は熊本商業の卒業で、優れた経営感覚を持ち、「社会に役立つ事業に取り組む」ことをモットーに人材を広く集め、事業を全国的に展開した。特に古荘健次郎は「デパートは成長産業である」という信念のもと、百貨店の設立や買収などにエネルギーを注いだ。昭和7年鹿児島の明治屋を引き受けたのを皮切りに八代市に木造3階建ての代陽百貨店を建設、続いて熊本市の銀丁、大分市のトキハ、小倉の井筒屋百貨店を相次いで買収した。そして東京・日本橋の百貨店・白木屋、京都の丸物、そして名古屋の三星などにも出資して経営に参画した。さらに東京・新宿・西口には広い用地を取得、新デパートの建設計画を立てた。一方、フィリピンの繊維事業はマニラの金貨メリヤスを中心に大きく拡大、フィリピン全土に営業基盤を築き、従業員総数は3000人近くになった。
しかし、第二次世界大戦による敗戦でグループは打撃を受け、一転して崩壊に向かった。そして、昭和23年2月総帥・古荘健次郎の死で、事実上“財閥”は解体した。現在、古荘に残っているのは古荘本店、熊本日産自動車、そして関係会社としてのトキハ(大分市)である。
“古荘財閥”は熊本の経営者に夢とロマンを与えた。しかし、戦後は古荘グループに続くような企業は熊本に生まれなかった。それだけに九州における熊本の“地盤”は低下した。大洋デパート、寿屋、ニコニコ堂など有力企業が熊本に生まれたが、これも時代の変化とともに姿を消した。
現在、熊本市の人口は73万8000人。そして、福岡市は150万2000人である。人口は2倍以上の開きとなっている。極めて残念である。そして、それ以上に、「福岡は凄い」、「福岡にはもう勝てない」という声が企業人から聞かれる。熊本の企業はもっと自信を持つべきである。その中で、熊本からは近年、化学及血清療法研究所、再春館製薬所、阿蘇製薬、リバテープ製薬などの薬品メーカーが成長。熊本人に一種の“光明”を与えている。熊本の住宅メーカーの福岡進出も活発である。熊本の企業人には目標を大きく持ち、“モッコス精神”を発揮して、事業拡大にチャレンジして欲しい。
※参考図書紹介
「古荘財閥」「或る海軍士官の軌跡」
いずれも本人著書
2013年8月号掲載
(株)地域情報センター 代表取締役会長
松岡 泰輔
昭和16年12月1日熊本市安政町生まれ。
40年3月熊本商科大学卒業。
同4月、熊本日日新聞社入社。
本部政経部、大津支局
長(初代)を歴任。
54年5月(株)地域情報センター社長就任。
57年4月、福岡市に(株)地域情報センター設立、平成23年6月(株)地域情報センター会長
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