一般社団法人 熊本県中小企業家同友会

特集

核心

経営課題への解決の糸口が、ここにある!

影あり、仰げば月あり~たくさんの出会いが同友会の魅力~

(有)九州中央経理 代表取締役 山本 友晴

(有)九州中央経理 代表取締役
山本 友晴 (熊本同友会副代表理事)


-入会のきっかけついてお尋ねします

私が勤務していた事務所の代表であり、熊本同友会の創立メンバーの一人である皆吉栄五郎氏からの紹介です。26年前になります。


-26年間学び続けている同友会の魅力とはなんですか?

人との出会いです。仕事柄狭い世界で生きているので、視野を広めるために入会しました。以前経営者を対象にした『同友会大学』がありまして、その講演会で聞いた緒方求也さんの話は衝撃的でしたね。当時ニュースカイホテルの社長をされていて、ANAの傘下に入った時、5ヵ年計画を出され、当初3年は赤字だと平気で言われました。税理士の世界ではタブー視される赤字を前提に、その後は黒字に転換するという経営方針には驚きました。
 また岐阜同友会の未来工業(株)の山田昭男社長(当時)が同友会10周年の記念講演で、「公私混同から私公混同へ」と言われました。車は個人が買って社用で使う、これが私公混同だと。ショックでしたが、「これはいいね」と実践しました。また部下と飲む時は、社長のポケットマネーで払い、領収書を取らない。そんな社長の姿勢を見て社員は感謝の念を抱く。私も実践するようにしました。これも同友会に入って得た成果です。
 代表理事をされた飯塚電気工業(株)の故田中一成さんからも影響を受けました。“揺るぎない精神力”の持主で、当時理事会は喧々諤々でしたが、悠然と話を聞いた上で、裁断を下す人でした。度量の広い人、済々黌高校の野球部で甲子園へも行かれたそうです。また、「経営者は指揮者みたいなもの」だとも言われていました。第15回中小企業問題全国研究集会で「頭殴られてきた」と言って、人生観が変わったと言われた。要するに経営者は舞台を提供するだけ。後はそれぞれの社員がやるのが企業だと。
 九州電設(株)の穴井憲義さんも素晴らしい方です。喧嘩もするけど、なんでも腹を割って話ができる。誤解されやすいタイプですが、ピュアな人。同友会の事を真剣に考えています。


(有)九州中央経理のあるエルソシオビル外観

(有)九州中央経理のあるエルソシオビル外観


-同友会の皆さんへのアドバイスはありますか?

同友会は経営者の集まり、ボランティアの会ではありません。自分の会社を良くし、自らを高め、地域を良くするのが目的です。アンテナを広げていないと、問題意識を持っていないと、ただ話を聞くだけでは「気づき」がないのが同友会です。


社員一同

社員一同


-同友会と仕事の両立は?

同友会が好きで、かなりの時間を使っているので、職員には感謝しています。ほとんどが夜の時間を使っているから、さほど仕事の支障はありませんが、家内には不満を与えているかも(笑)。同友会以外でも色々やっています。演劇鑑賞団体の代表幹事もしていました。同友会活動に関しては職員の反対はありませんが、私の身体を気遣ってくれています。しかし同友会に出席しないで仕事ばかりだと、疲れが残って老けこんでしまう。仕事と同友会の両方だから、スイッチが切り変わって疲れないんだと思います。
 今でこそ両立できていますが、当初はなかなか参加できませんでした。参加するためには、会社の仕組みを変えないといけない。そこで職員に任せるようにしました。
 それで生まれた時間で同友会活動に参加できるようにしました。結果として、業務改善もすすむことになりました。
 それでも年に1回は顧客を回るように心掛けています。その際同友会で学んだ話をできるので、顧客からも喜ばれるんです。同友会活動が血となり肉となっているのでお客様に還元できていると感じています。


エルソシオビルの室内

エルソシオビルの室内


-苦境に立たされて

数年前に、人生で最大の苦境に立たされました。会社乗っ取りの裁判になり、一審で敗訴、2審で勝訴という体験をしました。このような苦境の中、支えてくれたお客様はじめ社員の皆さんにはとても感謝しています。
 同友会の仲間からは、叱咤激励が飛びました。自分を見失いそうになる時に励ましだけでなく、叱咤されることはとても大事なことです。
 苦境に立って多くのことを学びました。この苦境の体験は今後に活かしていきたいと思っています。


-山本さんの笑顔の秘訣は?

経営者はプラス思考でないとダメ。経営には波があります。私の座右の銘に坂村真民の「影あり、仰げば月あり」があります。
 ある時、潰れかかった会社を引き継いだ方に、この言葉を伝えました。今では再生していい会社になりました。
 目標を持っていれば、辛い時期も我慢できます。私は中卒で、集団就職で名古屋のメッキ工場で働き、夜間高校で勉強しました。「石の上にも3年」3年間は我慢しようと決めて頑張りました。その後高校の先生にメッキ工場を辞めたいと相談したら、ラッキーなことに公認会計士事務所を紹介され、採用されました。4年生の11月に公認会計士の先生から「大学に行かないか?お金は貸すから」と言われ、2月の入試まで4 ヵ月しかない中猛烈に勉強しました。愛知大学に進学し、お陰で税理士の資格を取り現在に至っています。



2012年10月号掲載

【インタビュー】
(株)ゆうプランニング 代表取締役 木村 正夫
(熊本同友会広報委員長)

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